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Channel: B310サニーのブログ
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FUJI WONDERLAND FES!その②


FUJI WONDERLAND FES!その③

FUJI WONDERLAND FES!その④

FUJI WONDERLAND FES!その⑤

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JCCA編 ②

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今も現役 浅野自動車スターレット

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スパイ針、10,000超えでした…

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FUJI WONDERLAND FES!その⑥

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JCCA編 ③

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ここにサバンナとカペラも居て欲しかったなぁ。

天国の片山さんもきっと一緒に走りたいと思ってるだろうなぁと思いました…。

FUJI WONDERLAND FES!その⑦

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Gr,C編

僕が初めて富士に行ったのが85年。

友達と電車・バスを乗り継いで富士1,000kmを見に行きました。

初めは雑誌で読んだ知識しかなく耐久はフォーミュラやGCほど速くないと思っていたのですが、スタート直後に凄い衝撃とともに覆りました(笑)

当時はイセキ・アドバン・フロムAの各ポルシェが強く、燃費の良いトヨタが続く展開。日産はスピードはトヨタを上回るもレース中盤にはほぼ戦列から去っているという寂しい状況でありました。

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近年、走るCカーのイベントはニスフェスやGAZOO等のイベントでも見られましたが、メーカーの枠を超えて走る機会はそう多くありません。

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ポルシェ962C。956と合わせるとCカー既定の車両で最も多く販売されたマシンであります。

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この車両、厳密にいえばJGTC仕様になっているそうですがこの際贅沢は無しという事で…。強いて言えばアドバンポルシェが無いならイセキポルシェは見たかったです。

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ドライバーはやっぱりこの方抜きでは語れません。高橋国光さんです。
実は中3の時に国さん宛てに956のイラストを書いた年賀状を送った事があるのですが、後日学校から帰るとポストに大きな封筒が入っていました。
中には僕の名前が入ったイラスト入りのサイン色紙…送り主は何と国さんでした

この方の人柄の良さはもはや有名ではありますが、免許も無いいちファンにこのような気配りをして下さった事が未だ忘れられず今でも大好きなレーサーであります。

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今回走ったCカーで一番感動したのがトムスの85Cでありました。当時展開次第ではポルシェを食える存在でありまして排気量こそ小さいものの、燃費の良さが武器でした。台数も多くトムスと童夢に加え、チームイクザワ、オートビューレック、レイズと5台も参戦していました。当時は日産のCカーがお世辞にもカッコよくなかったので84~85Cは余計にカッコよく思えたものです…。


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今回走ったマシンは正確には85C-Lというル・マン初参戦で12位入賞した車両であり、翌年から大々的にスポンサーを開始するレイトンハウスが最初にスポンサーとなったのもこの時でありました。ちなみに国内ではリアウイングは84Cと同じ二本足の物でした。ストレートよりダウンフォース重視という事だったのでしょうかね…。


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ドライバーは中嶋悟氏。ホンダのイメージが強い方ですがCカーでは84~85年、86年は国際F3000とバッティングしないレースにトムスで走っていました。86年WECでの幻のポールを覚えている方も多いのではないでしょうか。

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今見ても美しいスタイリングです。

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星野一義氏がドライブするマーチ83G。
車名でいうと83年ですが85年の序盤まで走りました。
エントリー車名のシルビアターボCはもはや名前だけであります(笑)
当時長谷見氏のマシンがスカイライン、柳田氏のマシンがZというようにスーパーシルエットの流れだったのかなと思います。もっとも、それならZではなくブルーバードになるはずですが(笑)

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ポルシェやトヨタに比べるとやっぱりどうしてもモッサリ感が否めませんね。
しかし、実はこのマシンを設計したのは某有名なデザイナーだったりします。
あえて名前は出しませんがF1界では物凄~く名の通った超大物な方です

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エンジンはLZ20B、最終的にFJ20に変更されました。全般的に信頼性が低かったので残念ながら個人的にはあまり印象に残っておりません…85Gならまだ幾分マシなのですが(笑)

でも、そんな僕の日産Cカーに対する思いは徐々に応援へと変わり、ついにチャンピオンを獲得するまでに到りました。

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ニッサンR92CP 日産が本気になったら凄いんだと当時心からそう思いました(笑)
R90CPからの快進撃はそれまでのCカーの勢力図を変えたといってもいいかもしれません。

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この車、予選では900馬力以上出ていました 星野氏や長谷見氏はもう二度と乗りたくないそうです(笑)こんな車、普通の人が横に乗ったらあっという間に失神してしまいそうですね…。

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ドライバーは鈴木利男氏。当時はトヨタ⇔日産をよく渡り歩いていて苦労人のイメージがありましたが、最後の国内F3000ではチャンピオン、Gr,A&C、スポットでF1、ル・マン等…ほぼ全てのカテゴリで活躍しました。ちなみにどうでもいい話ですが、僕には鈴木利男氏と同姓同名の従兄弟がおりまして、その流れから利男氏のファン(でもレースではポルシェ956を応援していた)であります。そしてその影響を受けた僕も利男氏のファンになりました(笑)

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これも思い出深い1台…トヨタTS010。
どちらかといえば020の方が知名度は高そうなイメージがありますが、個人的には間違いなくこちらです。92年のル・マン表彰台で一緒に走るはずだった故・小河等氏の遺影を関谷さんが抱えていたのを今でもよく覚えております。


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ドライバーは関谷正徳氏、ジェフ・リースと並んでトヨタCカーには欠かせない方であります。わりと遅咲きのドライバーさんでCカー以降の活躍が凄かった印象があります。僕の好きだったJTCCではタイトルも取りましたしGCの最終戦ではブッチギリの1位でした(笑)

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91C-Vも国内では強かったのですが、この車からトヨタのCカー(といってもこれが最後の車ですが)がガラリと変わりました。世界戦を視野に入れて製作された車でエンジンもこれまでのターボをやめて自然吸気になりました。結果的には2年連続でプジョーに勝てませんでしたが個人的には85Cに次いで好きなトヨタのCカーであります。

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マツダ787B。もはや語るまでもない名車ですね。
車体はJSPC仕様ですがこの同型の55号車こそ、あのル・マン24時間で優勝した唯一の日本車であります。

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ドライバーはミスタール・マンこと寺田陽次郎氏。何とこれまでの出場回数29回
おそらくこの先これを塗り替えるドライバーさんは出てこないでしょうね…。

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100R手前で火を吹く姿がカッコ良かったのですが、撮り手がヘタでして捉える事が出来ませんでした…。また見たいマシンですね。マツダでは他にもラッキーストライクカラーの767とかニコンカラーの737とかありましたね…凄く懐かしいです。

そして最後。参加車中、最も懐かしさを感じた1台は…


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MCSグッピー ムーンクラフトが製作したマシンであります。
エンジンもマツダ、トヨタ、BMWが選べるというまさにプライベーターの為に製作された車でありました。こちらはアルファーキュービックの車両でBMWを搭載しています。

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こんな事書くと怒られそうですが、今見ると凄くかわいいです。
レーシングカーでかわいいという言葉はまず使われないのですが、
懐かしいと同時にかわいいと思わず言ってしまいました…。
正面の写真が無いのが残念ですが、本当にかわいいんです(笑)

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ドライバーはこれまた懐かしの戸谷千代三氏であります。
当時GCにも参戦されておりましたが僕には耐久のイメージが強いドライバーさんでした。
レノマカラーのポルシェ956とかありましたね、もうどんなカラーだったかも忘れてしまいましたが…。

グッピー繋がりでもうひとつ。近くにいたお客さんが言っていた赤池さんどうしてるんだろうねという言葉が非常に印象的でありました…。

FUJI WONDERLAND FES!その⑧

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HERO of Fomula編

今回はフォーミュラー編になります。

僕が見ていたのは83年中盤~F3000までなのでそれ以外殆ど知りません(笑)

なのでコメントも殆ど書けませんがお許し下さい…。

実物を初めて見たのは86年RCC主催の夏のレースでした。

その時に走っていた車が…

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マーチ86J・ヤマハ(1986)当時好きだったドライバーが乗っていたマシンです。
懐かしいダンロップ・フォーミュラーのカラーでありますが、まだ現存していたことにびっくり でもサイドポンツーンのロゴはヤマハだったような…スピードボックスは確かこの車のチーム名だったような気がしますが、このタイプもあったかもしれない…流石に30年以上前なので覚えておりません

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当時のドライバーはエイエ・エルグ氏でありました。このドライバーさん、雑誌によってファーストネームがエジェもしくはエイエ、ラストネームがエルグまたはエリジュなど、非常にバラバラでありまして何と呼んで良いのか分かりません(笑)ダンロップがスウェーデンから呼んだ助っ人で長きに渡り活躍。Cカーではワコールカラーのトヨタ童夢、GCやGr,A等々…先のジェフ・リース氏と共に日本ではお馴染みのドライバーさんでした。

ちなみにどうでもいい話でありますが…85年か86年頃、ダイドーから300mlのビン入り炭酸飲料が発売されたのですが、それがスウェーデンの麦を使った(確かそう謳っていたはず…)やつでCMに同氏を起用しておりました。

商品名は忘れましたが、

「ヒーローはスウェーデンからやって来た…」

こんなナレーションだったと思います(笑)

当時、同氏のファンだった僕は早速買って飲んだのですが…

あまりの不味さにショックを受けました(笑)

こんなネタ絶対書く事無いと思っておりましたが、今回まさかの機会が訪れましたた…。

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当時、ダンロップのエース格は佐川急便SSRカラーでありましたがこの年はエルグ氏のマシンはダンロップカラーになりました。

いやぁ、本当にカッコいいカラーリングです…。この頃はスポンサーも多彩でしたしJTが初めてモータースポーツに参入したのもこの年でした。故・松本恵二氏のキャビンのCMを覚えている方も多いのではないでしょうか?あのカッコ良さからキャビンが凄く売れるようになったそうです。前年までは星野さんもラークでしたし国さんはJPSカラーとタバコロゴはサーキットにとても似合っていたと思います。

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マーチ842・BMW(1984)故・松本恵二氏がドライブしていたマシンですね。
シリーズはホンダ勢が優位で設計の古いBMWユーザーは苦戦していた記憶があります。当時ホンダはまだ一部のユーザーにしかエンジンを供給しておらず、日産系の星野さんや長谷見さんもBMWエンジンでした。しかしこの勢力図が翌年のヤマハ参入によって徐々に変わっていくのであります。

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懐かしの842が見れたのは勿論嬉しかったのですが、パンフレットには長谷見さんの佐川急便SSR号が載っていたのでてっきり会えると思っておりました、が、結局見れたのはこの車両のみでありました。古いマシンはメンテナンスに莫大な費用や時間が掛かるそうなのでもしかするとそういった理由で不参加だったのかもしれませんね。
またいつか元気に走っている姿を見たいです。

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ローラT90・DFV(1991)キャビンカラーがカッコいいこのマシンは片山右京氏がタイトルを撮った91年の車両であります。F2時代はマーチが主流でしたがF3000に切り替わるとローラにスイッチするチームが急増、マーチ87Bの評判があまり宜しくなかった為星野さんと関谷さんはたった1戦で見切りをつけ、ローラへとスイッチしました。チームは共にレイトンハウスでありまして既にこの時から物凄いお金が動いていたのであります…。

以後、ローラは徐々にシェアを拡大、89年にはレイナードが参入、マーチのユーザーはあっという間に少数になっていくのでありました…。

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今となっては懐かしいキャビンカラー、F1では知名度からマイルドセブンに変えたと何かの記事で読んだ事がありますが、これはこれでカッコいいですよね…。
この他、後にF1へ行くレイトンハウスやフットワーク、F1ドライバーとなるジョニー・ハーバート氏やエディ・アーバイン氏等、物凄く盛況したシリーズでありました。

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ラルトR35・無限。(1991)こちらはF3マシン。金石勝智氏がドライブした車両であります。F3000同様に必勝体制で挑んだシリーズでしたが、トヨタもホンダも有望な外国人ドライバーを起用し始めるようになり、以後数年間は全て外国人ドライバーがタイトルをさらっていくのでありました。しかし、その当時の面子はどれも今ではビッグネーム。何らかのカテゴリーでタイトルを獲得しているドライバーばかり…各メーカーやチーム関係者さんの見る目は凄かったんだなぁと思います…。

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F3000との比較…何だか親子のような感じに見えます(笑)

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ローラ T97・無限(1997)後にマクラーレンF1をドライブする事になるペドロ・デ・ラ・ロサ氏がタイトルを獲得したマシンでありますが、もうこの頃は殆どレースは見ておりません…リザルトやレース展開はオートスポーツとレーシングオン(当時この2冊は欠かさず購入)で見る程度でありました。

既に興味が海外の箱レースへ変わっていた事もありますが、決定打?はフジテレビが放送するようになったフォーミュラニッポン初年度でした。それまでの通好みの内容から一転、おチャラけたイメージが強く徐々に見なくなりました。幅広い層を取り込もうとしたのは理解できますが実況が酷過ぎました…。まだ土屋圭一氏と熊倉重春氏が言い争った前年F1中継の方が良かったぐらい…(笑)

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マシンもカッコ良かったですしドライバーのレベルも凄かっただけに残念であります…。

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ノバ532P・BMW(1978)星野一義氏がタイトルを取ったマシンであります。この頃はまだ小学生でしたのでマシンの色形以外は殆ど知りません 強いて言えば親父がたまに買ってくれたオートスポーツでPENTAX=星野一義=日本一速い男という事実を知ったくらいでしょうか…。とはいえ、最近ではこの辺りのミニカーもリリースされているようなのでいつかは飾ってみたいですね。

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この頃のフォーミュラーもカッコいいですね。男臭いというか、夢の多かった時代(勿論今もありますが…)というか…凄い人たちがまだ若手だった頃のレース、今思えば見てみたかったです。

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マーチ742・BMW(1974)当時まだ4歳(笑) 
カッコいいマシンですが、さすがにもうコメント出来ません

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F2000時代のマシンのようですが素晴らしいコンディションでありました

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リアセクションのメカニカルな感じがたまらないですね

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ブラバム BT30・フォード(1970)

当時0歳…もはやカテゴリーすら分かりません

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時代で言うと葉巻型のフォーミュラーから進化し始めた頃でしょうか…。
タミヤのプラモデルでこういう形のF1があったような。
いずれにせよカッコいいという印象は変わりませんが(笑)

以上、後半はほぼ感想しかありませんがCカーに劣らない感動を得られてとても幸せでした

次回は日本グランプリ&GCデモラン…といきたいところでありますが、残念ながら到着ぎりぎりで写真はございません ツーリングカーデモランも写真はございません。

F1編、展示車編でこのシリーズを締めたいと思いますのでもう暫くお付き合い下さいませ

FUJI WONDERLAND FES!その⑨

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このシリーズも長くなりました…今回はF1編、簡単に済ませます(笑)

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当時のF1で有名だった4台が富士を走りました。

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ロータス77。JPSのカラーリングはあまりにも有名ですね。ここからF1のファンになった人も多い筈(笑)僕もその一人で最初に買ってもらったF1のおもちゃはロータス72Dのトイラジコンでした。

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個人的には歴代レーシングカーのカラーで一番でしょうか…。

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そのロータス同様、カラーリングで同じく人気だったのがこのマシン…

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故・ジェームス・ハント氏が駆ったマクラーレンM23。これも当時カッコよくて憧れましたね~。

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実物を見たのは初めてでしたが、この頃のマールボロレッドは実物と写真の色の差があまりないのですね。昔鈴鹿で見たMP4/7は蛍光レッド?オレンジ?のような色でありました。

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これも当時好きだったマシン、ウルフWR1。
参戦期間は短いですが知名度は今でもかなり高いマシンであります。

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カナダの石油王ウォルター・ウルフ氏がオーナーでありました。これも非常に人気のあるカラーリングです。スズキのバイクも一時期このカラーがありましたね~。
昔、タミヤの1/12を買いましたが作らず売ってしまったので機会があれば再チャレンジしようと思います。

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フェラーリ312T2。今回走ったマシンで最もオリジナルを保っているそうです。
その為なのでしょうか、他の3台に比べかなりマシンを労わっているようでした。

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とはいえ、文句なしのカッコよさにひたすら感激致しました(笑)
スタイルやカラーもさることながらタイヤの形状がこれまたイカしてますね。

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コジマ KE007とマキF101。
どちらもメーカーの後ろ盾を持たずにF1に参戦した純粋な日本チームのマシンでありますが、今回残念ながら2台ともトラブルで走れませんでした…。
どちらも初めてお目にかかれたのでちょっと残念でありましたがまた何かの機会で走りを見たいですね。

サニーの日

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昨日、横浜港シンボルタワー駐車場にてT様主催のサニーミーティングがありました。

去年の夏以降、我が家のサニーは走行会どころかイベントにも出せないような惨状でありましたがようやく公?の場に晒す事が出来ました。

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天気も良かったので結構な台数が集まったと思います。

昨年は嫁さんを連れて行きましたが、すぐに飽きてバスで買い物に行ってしまいましたので今年はK君を誘い杉田家でラーメン食べてから現地に入りました(笑)

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ゼロヨン13秒台の兵、K田君の310。元Iちゃん号ですが、このような復活を遂げるとは当時思ってもいませんでした(笑)

サニー部のみなさま。

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もう1台、HさんのB10もありましたが止めた場所が僕の横で撮るのをすっかり忘れていました…ごめんなさい。

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と、思ったらOさんが撮っておられたのでお借りしました…

いつもは110や210、サニトラの影に隠れているのですが今年はやや310率が高かったような気がします。

昨日は地元のIちゃんは勿論、大御所まつおかさんも居られまして楽しい時間を過ごす事が出来ました。

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そして帰りは環2家に寄って

久しぶりにサニーイベントとラーメンを満喫致しました(笑)

防水対策

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この度のサニーの補修でありますが、実はまだやり残している事があります。

そのうちのひとつがテールランプAssyの防水処理。
一旦動き出してしまうとなかなかやる気が起きませんが、いつまでも放っておく訳にはいかないので作業を再開致しました。

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テールの防水はご覧のように周りの黒いスポンジがボディパネルの内側に密着して水の浸入を防いでいるのですが、さすがに39年物では何の役にも立ちません。
特に今回はかろうじて残っていた粘着力(固着?)もボディ修復による取り外しで完全に無くなってしまいました。

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まずはレンズとユニットを分離してそれぞれ洗浄致します。
スポンジはレンズの淵に貼られていますが、これがかなり頑固でして一部は解けてレンズの表面を侵しておりました


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レンズは前期のクーペでも探せば新品がありますが、余裕はないので当然磨いて再利用です(笑)

防水のシール剤は様々な物が存在しますが…

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今回はスワンボンドのブチルテープを使ってみました。モノタロウで1,980円也。
特に理由はありませんが値段が手頃でレビューが多かったのでこれにしました。

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イラストの車両を見て、一瞬310前期セダンか
と、思いましたがよ見るとマフラー右・しかもデュアル
違いました…(笑)

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組み合わせたライトAssyにブチルテープをぐるりと巻いてあげます。

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そしてボディ内側に貼り付けて…

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ガーニッシュと共に締め込んで完成

始めてみれば大した事もない作業でありまして時間も僅か2時間弱、さっさとやっておけば良かったと思うのでありました…。

これで少しは錆の進行を遅らせる事が出来るかもしれません。

もっとも、リアラゲッジの穴を塞がないと全て無駄になりそうですが…(笑)

MDIとディストリビューター その参 始動

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ようやく9910が付きました。

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永井電子の点検も異常なしという結果でしたが、ボディ修復の都合でこのタイミングとなりました。

約1年半…短いようで長かった

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室内移設で長さが足りないハーネスは先日購入したカプラーで延長を製作しまして…

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ディスビはモモさんに戴いた310のA14キャブ用日立に永井のSGを組みました。

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SG欲しさに集めたPPK。8141や8101は勿論の事、L型の8171はおろか、ポルシェ用の8861まで手を出しました(笑)当然ローターは余りますがA型には使えません…8861はSG以外余っておりますので欲しい方いらっしゃいましたら差し上げます。

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今回使用したPPKはお宝の8141新品です。今後の入手は恐らく無理かと思いますが迷わず投入致しました。

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以前の三菱製なんちゃってオプションと比べると見た目は野暮ったいですが、肝心なのは正常に機能する事(笑)…あの時は最初から躓きましたが今回は慣れ親しんだ日立製。上手くいく筈

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MDIが無くなった事でバッテリー横がスッキリ ついでに長らく不要となっていたホールドリレーとボルテージレギュレーターも撤去致しました。それにしてもイマイチ役目の分からなかった前者はまだ良いとして後者は何故今まで外さなかったのか我ながら疑問であります

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始動は若干緊張致しましたが、見事一発でアイドリング 
さすが相性の良い?日立製です(笑)
A/F計の数値も0.4~0.5程薄くなりました。

早速地元の上り坂でテスト走行致しましたが、薄くなったにもかかわらずトルクが増えて(笑)乗り易くなりました。勿論キャブのセットや点火時期は何も変えておりません…以前のディスビはラフに踏むとノックが出易かったのですがほぼ解消致しました。さすが低域4回、中域2回の放電は伊達ではありません トルクの細い1,300ccのエンジンにはかなり効果があります。

ディスビはPPKやサニトラ用が使えない間…

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こちらを使用しておりました。中身は海外某P社のマグネットセンサーが組み込まれているのですが、正直なところフィーリングは良くありませんでした。

PPK>サニトラ純正>サニトラ社外※>海外某P社マグネットセンサー

自分の中でこの4つに順位を付けるとすればこのようになりますでしょうか…。少なくともこの一年半の間に海外某社の順位は変わりました。こちらのキット、A型に限っていえば???という感じでしょうか。MDI無しの状態でサニトラ社外の新品に換えた時はショックを受けました…。

※サニトラ社外は性能的には純正と大した差は無いと思いますが構成部品の質、耐久面で差を付けました。新品ながら値段が安く買い直せる点は大きいです。ヤフオクで古いサニトラ純正にそれ以上のお金を払うならこの選択肢はありだと思います。

海外某P社製は勿論組み合わせるコイル次第でサニトラ純正を上回ると思います。ただ元々組み合わせるコイルやプラグコードの選択が難しいので全て新調すると4万円は確実に飛びます…。今は亀有さんでも赤外線キットがありますしSG選択ならまつおかさんのキット、さらには老舗の和光さんでも製作してもらえます。いずれもA型に精通しているのでそう変わらない金額ならあえてこれを選ぶ必要性は低いと感じました。

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元に戻るまでの回り道が長かったです。先日の横浜遠征では箱根の山越えも楽しく通過出来ました(笑)

これで一旦落ち着きましたが、早くも次の計画が進んでおります。

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まつおか製SGセンサーキット。(まつおかさんのHPならびにフェイスブックより画像拝借致しました)

これは永井電子のPPKを進化させたものでSGが専用プレートに対し横向きにセットされています。白いローターの代わりにチョッパーをSGに通過させ信号を発する仕組み。ローターヘッドは純正を使います。ベース本体はベアリングの入ったバネット後期型なので310用で起きたシャフトガタの心配は無くなります。

但しこのキット、昨年買うと意気揚々に伝えましたところ在庫切れでした

数が集まらないと作れないので長期覚悟でしたが、先日部品確保が出来たそうでIちゃんに本体とSGセンサーの配達をお願い致しました。これがあれば今の日立はスペアに回せますので暫くは安泰でしょうか…。

一方、トラブルの起きたサニトラの社外ディスビは…

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こちらも対策された部品を送って戴いたので組めば復活可能となりました。まつおかさんのキットがあれば出番は恐らく無いと思いますが、万が一の時に備えて保管しておきます…。

FUJI WONDERLAND FES!その③

FUJI WONDERLAND FES!その④

FUJI WONDERLAND FES!その⑤

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ここにサバンナとカペラも居て欲しかったなぁ。

天国の片山さんもきっと一緒に走りたいと思ってるだろうなぁと思いました…。

FUJI WONDERLAND FES!その⑦

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僕が初めて富士に行ったのが85年。

友達と電車・バスを乗り継いで富士1,000kmを見に行きました。

初めは雑誌で読んだ知識しかなく耐久はフォーミュラやGCほど速くないと思っていたのですが、スタート直後に凄い衝撃とともに覆りました(笑)

当時はイセキ・アドバン・フロムAの各ポルシェが強く、燃費の良いトヨタが続く展開。日産はスピードはトヨタを上回るもレース中盤にはほぼ戦列から去っているという寂しい状況でありました。

イメージ 1
近年、走るCカーのイベントはニスフェスやGAZOO等のイベントでも見られましたが、メーカーの枠を超えて走る機会はそう多くありません。

イメージ 2
ポルシェ962C。956と合わせるとCカー既定の車両で最も多く販売されたマシンであります。

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この車両、厳密にいえばJGTC仕様になっているそうですがこの際贅沢は無しという事で…。強いて言えばアドバンポルシェが無いならイセキポルシェは見たかったです。

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ドライバーはやっぱりこの方抜きでは語れません。高橋国光さんです。
実は中3の時に国さん宛てに956のイラストを書いた年賀状を送った事があるのですが、後日学校から帰るとポストに大きな封筒が入っていました。
中には僕の名前が入ったイラスト入りのサイン色紙…送り主は何と国さんでした

この方の人柄の良さはもはや有名ではありますが、免許も無いいちファンにこのような気配りをして下さった事が未だ忘れられず今でも大好きなレーサーであります。

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今回走ったCカーで一番感動したのがトムスの85Cでありました。当時展開次第ではポルシェを食える存在でありまして排気量こそ小さいものの、燃費の良さが武器でした。台数も多くトムスと童夢に加え、チームイクザワ、オートビューレック、レイズと5台も参戦していました。当時は日産のCカーがお世辞にもカッコよくなかったので84~85Cは余計にカッコよく思えたものです…。


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今回走ったマシンは正確には85C-Lというル・マン初参戦で12位入賞した車両であり、翌年から大々的にスポンサーを開始するレイトンハウスが最初にスポンサーとなったのもこの時でありました。ちなみに国内ではリアウイングは84Cと同じ二本足の物でした。ストレートよりダウンフォース重視という事だったのでしょうかね…。


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ドライバーは中嶋悟氏。ホンダのイメージが強い方ですがCカーでは84~85年、86年は国際F3000とバッティングしないレースにトムスで走っていました。86年WECでの幻のポールを覚えている方も多いのではないでしょうか。

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今見ても美しいスタイリングです。

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星野一義氏がドライブするマーチ83G。
車名でいうと83年ですが85年の序盤まで走りました。
エントリー車名のシルビアターボCはもはや名前だけであります(笑)
当時長谷見氏のマシンがスカイライン、柳田氏のマシンがZというようにスーパーシルエットの流れだったのかなと思います。もっとも、それならZではなくブルーバードになるはずですが(笑)

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ポルシェやトヨタに比べるとやっぱりどうしてもモッサリ感が否めませんね。
しかし、実はこのマシンを設計したのは某有名なデザイナーだったりします。
あえて名前は出しませんがF1界では物凄~く名の通った超大物な方です

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エンジンはLZ20B、最終的にFJ20に変更されました。全般的に信頼性が低かったので残念ながら個人的にはあまり印象に残っておりません…85Gならまだ幾分マシなのですが(笑)

でも、そんな僕の日産Cカーに対する思いは徐々に応援へと変わり、ついにチャンピオンを獲得するまでに到りました。

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ニッサンR92CP 日産が本気になったら凄いんだと当時心からそう思いました(笑)
R90CPからの快進撃はそれまでのCカーの勢力図を変えたといってもいいかもしれません。

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この車、予選では900馬力以上出ていました 星野氏や長谷見氏はもう二度と乗りたくないそうです(笑)こんな車、普通の人が横に乗ったらあっという間に失神してしまいそうですね…。

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ドライバーは鈴木利男氏。当時はトヨタ⇔日産をよく渡り歩いていて苦労人のイメージがありましたが、最後の国内F3000ではチャンピオン、Gr,A&C、スポットでF1、ル・マン等…ほぼ全てのカテゴリで活躍しました。ちなみにどうでもいい話ですが、僕には鈴木利男氏と同姓同名の従兄弟がおりまして、その流れから利男氏のファン(でもレースではポルシェ956を応援していた)であります。そしてその影響を受けた僕も利男氏のファンになりました(笑)

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これも思い出深い1台…トヨタTS010。
どちらかといえば020の方が知名度は高そうなイメージがありますが、個人的には間違いなくこちらです。92年のル・マン表彰台で一緒に走るはずだった故・小河等氏の遺影を関谷さんが抱えていたのを今でもよく覚えております。


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ドライバーは関谷正徳氏、ジェフ・リースと並んでトヨタCカーには欠かせない方であります。わりと遅咲きのドライバーさんでCカー以降の活躍が凄かった印象があります。僕の好きだったJTCCではタイトルも取りましたしGCの最終戦ではブッチギリの1位でした(笑)

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91C-Vも国内では強かったのですが、この車からトヨタのCカー(といってもこれが最後の車ですが)がガラリと変わりました。世界戦を視野に入れて製作された車でエンジンもこれまでのターボをやめて自然吸気になりました。結果的には2年連続でプジョーに勝てませんでしたが個人的には85Cに次いで好きなトヨタのCカーであります。

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マツダ787B。もはや語るまでもない名車ですね。
車体はJSPC仕様ですがこの同型の55号車こそ、あのル・マン24時間で優勝した唯一の日本車であります。

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ドライバーはミスタール・マンこと寺田陽次郎氏。何とこれまでの出場回数29回
おそらくこの先これを塗り替えるドライバーさんは出てこないでしょうね…。

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100R手前で火を吹く姿がカッコ良かったのですが、撮り手がヘタでして捉える事が出来ませんでした…。また見たいマシンですね。マツダでは他にもラッキーストライクカラーの767とかニコンカラーの737とかありましたね…凄く懐かしいです。

そして最後。参加車中、最も懐かしさを感じた1台は…


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MCSグッピー ムーンクラフトが製作したマシンであります。
エンジンもマツダ、トヨタ、BMWが選べるというまさにプライベーターの為に製作された車でありました。こちらはアルファーキュービックの車両でBMWを搭載しています。

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こんな事書くと怒られそうですが、今見ると凄くかわいいです。
レーシングカーでかわいいという言葉はまず使われないのですが、
懐かしいと同時にかわいいと思わず言ってしまいました…。
正面の写真が無いのが残念ですが、本当にかわいいんです(笑)

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ドライバーはこれまた懐かしの戸谷千代三氏であります。
当時GCにも参戦されておりましたが僕には耐久のイメージが強いドライバーさんでした。
レノマカラーのポルシェ956とかありましたね、もうどんなカラーだったかも忘れてしまいましたが…。

グッピー繋がりでもうひとつ。近くにいたお客さんが言っていた赤池さんどうしてるんだろうねという言葉が非常に印象的でありました…。

FUJI WONDERLAND FES!その⑧

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HERO of Fomula編

今回はフォーミュラー編になります。

僕が見ていたのは83年中盤~F3000までなのでそれ以外殆ど知りません(笑)

なのでコメントも殆ど書けませんがお許し下さい…。

実物を初めて見たのは86年RCC主催の夏のレースでした。

その時に走っていた車が…

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マーチ86J・ヤマハ(1986)当時好きだったドライバーが乗っていたマシンです。
懐かしいダンロップ・フォーミュラーのカラーでありますが、まだ現存していたことにびっくり でもサイドポンツーンのロゴはヤマハだったような…スピードボックスは確かこの車のチーム名だったような気がしますが、このタイプもあったかもしれない…流石に30年以上前なので覚えておりません

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当時のドライバーはエイエ・エルグ氏でありました。このドライバーさん、雑誌によってファーストネームがエジェもしくはエイエ、ラストネームがエルグまたはエリジュなど、非常にバラバラでありまして何と呼んで良いのか分かりません(笑)ダンロップがスウェーデンから呼んだ助っ人で長きに渡り活躍。Cカーではワコールカラーのトヨタ童夢、GCやGr,A等々…先のジェフ・リース氏と共に日本ではお馴染みのドライバーさんでした。

ちなみにどうでもいい話でありますが…85年か86年頃、ダイドーから300mlのビン入り炭酸飲料が発売されたのですが、それがスウェーデンの麦を使った(確かそう謳っていたはず…)やつでCMに同氏を起用しておりました。

商品名は忘れましたが、

「ヒーローはスウェーデンからやって来た…」

こんなナレーションだったと思います(笑)

当時、同氏のファンだった僕は早速買って飲んだのですが…

あまりの不味さにショックを受けました(笑)

こんなネタ絶対書く事無いと思っておりましたが、今回まさかの機会が訪れましたた…。

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当時、ダンロップのエース格は佐川急便SSRカラーでありましたがこの年はエルグ氏のマシンはダンロップカラーになりました。

いやぁ、本当にカッコいいカラーリングです…。この頃はスポンサーも多彩でしたしJTが初めてモータースポーツに参入したのもこの年でした。故・松本恵二氏のキャビンのCMを覚えている方も多いのではないでしょうか?あのカッコ良さからキャビンが凄く売れるようになったそうです。前年までは星野さんもラークでしたし国さんはJPSカラーとタバコロゴはサーキットにとても似合っていたと思います。

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マーチ842・BMW(1984)故・松本恵二氏がドライブしていたマシンですね。
シリーズはホンダ勢が優位で設計の古いBMWユーザーは苦戦していた記憶があります。当時ホンダはまだ一部のユーザーにしかエンジンを供給しておらず、日産系の星野さんや長谷見さんもBMWエンジンでした。しかしこの勢力図が翌年のヤマハ参入によって徐々に変わっていくのであります。

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懐かしの842が見れたのは勿論嬉しかったのですが、パンフレットには長谷見さんの佐川急便SSR号が載っていたのでてっきり会えると思っておりました、が、結局見れたのはこの車両のみでありました。古いマシンはメンテナンスに莫大な費用や時間が掛かるそうなのでもしかするとそういった理由で不参加だったのかもしれませんね。
またいつか元気に走っている姿を見たいです。

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ローラT90・DFV(1991)キャビンカラーがカッコいいこのマシンは片山右京氏がタイトルを撮った91年の車両であります。F2時代はマーチが主流でしたがF3000に切り替わるとローラにスイッチするチームが急増、マーチ87Bの評判があまり宜しくなかった為星野さんと関谷さんはたった1戦で見切りをつけ、ローラへとスイッチしました。チームは共にレイトンハウスでありまして既にこの時から物凄いお金が動いていたのであります…。

以後、ローラは徐々にシェアを拡大、89年にはレイナードが参入、マーチのユーザーはあっという間に少数になっていくのでありました…。

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今となっては懐かしいキャビンカラー、F1では知名度からマイルドセブンに変えたと何かの記事で読んだ事がありますが、これはこれでカッコいいですよね…。
この他、後にF1へ行くレイトンハウスやフットワーク、F1ドライバーとなるジョニー・ハーバート氏やエディ・アーバイン氏等、物凄く盛況したシリーズでありました。

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ラルトR35・無限。(1991)こちらはF3マシン。金石勝智氏がドライブした車両であります。F3000同様に必勝体制で挑んだシリーズでしたが、トヨタもホンダも有望な外国人ドライバーを起用し始めるようになり、以後数年間は全て外国人ドライバーがタイトルをさらっていくのでありました。しかし、その当時の面子はどれも今ではビッグネーム。何らかのカテゴリーでタイトルを獲得しているドライバーばかり…各メーカーやチーム関係者さんの見る目は凄かったんだなぁと思います…。

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F3000との比較…何だか親子のような感じに見えます(笑)

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ローラ T97・無限(1997)後にマクラーレンF1をドライブする事になるペドロ・デ・ラ・ロサ氏がタイトルを獲得したマシンでありますが、もうこの頃は殆どレースは見ておりません…リザルトやレース展開はオートスポーツとレーシングオン(当時この2冊は欠かさず購入)で見る程度でありました。

既に興味が海外の箱レースへ変わっていた事もありますが、決定打?はフジテレビが放送するようになったフォーミュラニッポン初年度でした。それまでの通好みの内容から一転、おチャラけたイメージが強く徐々に見なくなりました。幅広い層を取り込もうとしたのは理解できますが実況が酷過ぎました…。まだ土屋圭一氏と熊倉重春氏が言い争った前年F1中継の方が良かったぐらい…(笑)

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マシンもカッコ良かったですしドライバーのレベルも凄かっただけに残念であります…。

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ノバ532P・BMW(1978)星野一義氏がタイトルを取ったマシンであります。この頃はまだ小学生でしたのでマシンの色形以外は殆ど知りません 強いて言えば親父がたまに買ってくれたオートスポーツでPENTAX=星野一義=日本一速い男という事実を知ったくらいでしょうか…。とはいえ、最近ではこの辺りのミニカーもリリースされているようなのでいつかは飾ってみたいですね。

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この頃のフォーミュラーもカッコいいですね。男臭いというか、夢の多かった時代(勿論今もありますが…)というか…凄い人たちがまだ若手だった頃のレース、今思えば見てみたかったです。

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マーチ742・BMW(1974)当時まだ4歳(笑) 
カッコいいマシンですが、さすがにもうコメント出来ません

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F2000時代のマシンのようですが素晴らしいコンディションでありました

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リアセクションのメカニカルな感じがたまらないですね

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ブラバム BT30・フォード(1970)

当時0歳…もはやカテゴリーすら分かりません

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時代で言うと葉巻型のフォーミュラーから進化し始めた頃でしょうか…。
タミヤのプラモデルでこういう形のF1があったような。
いずれにせよカッコいいという印象は変わりませんが(笑)

以上、後半はほぼ感想しかありませんがCカーに劣らない感動を得られてとても幸せでした

次回は日本グランプリ&GCデモラン…といきたいところでありますが、残念ながら到着ぎりぎりで写真はございません ツーリングカーデモランも写真はございません。

F1編、展示車編でこのシリーズを締めたいと思いますのでもう暫くお付き合い下さいませ

FUJI WONDERLAND FES!その⑨

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このシリーズも長くなりました…今回はF1編、簡単に済ませます(笑)

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当時のF1で有名だった4台が富士を走りました。

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ロータス77。JPSのカラーリングはあまりにも有名ですね。ここからF1のファンになった人も多い筈(笑)僕もその一人で最初に買ってもらったF1のおもちゃはロータス72Dのトイラジコンでした。

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個人的には歴代レーシングカーのカラーで一番でしょうか…。

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そのロータス同様、カラーリングで同じく人気だったのがこのマシン…

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故・ジェームス・ハント氏が駆ったマクラーレンM23。これも当時カッコよくて憧れましたね~。

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実物を見たのは初めてでしたが、この頃のマールボロレッドは実物と写真の色の差があまりないのですね。昔鈴鹿で見たMP4/7は蛍光レッド?オレンジ?のような色でありました。

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これも当時好きだったマシン、ウルフWR1。
参戦期間は短いですが知名度は今でもかなり高いマシンであります。

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カナダの石油王ウォルター・ウルフ氏がオーナーでありました。これも非常に人気のあるカラーリングです。スズキのバイクも一時期このカラーがありましたね~。
昔、タミヤの1/12を買いましたが作らず売ってしまったので機会があれば再チャレンジしようと思います。

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フェラーリ312T2。今回走ったマシンで最もオリジナルを保っているそうです。
その為なのでしょうか、他の3台に比べかなりマシンを労わっているようでした。

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とはいえ、文句なしのカッコよさにひたすら感激致しました(笑)
スタイルやカラーもさることながらタイヤの形状がこれまたイカしてますね。

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コジマ KE007とマキF101。
どちらもメーカーの後ろ盾を持たずにF1に参戦した純粋な日本チームのマシンでありますが、今回残念ながら2台ともトラブルで走れませんでした…。
どちらも初めてお目にかかれたのでちょっと残念でありましたがまた何かの機会で走りを見たいですね。

サニーの日

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昨日、横浜港シンボルタワー駐車場にてT様主催のサニーミーティングがありました。

去年の夏以降、我が家のサニーは走行会どころかイベントにも出せないような惨状でありましたがようやく公?の場に晒す事が出来ました。

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天気も良かったので結構な台数が集まったと思います。

昨年は嫁さんを連れて行きましたが、すぐに飽きてバスで買い物に行ってしまいましたので今年はK君を誘い杉田家でラーメン食べてから現地に入りました(笑)

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ゼロヨン13秒台の兵、K田君の310。元Iちゃん号ですが、このような復活を遂げるとは当時思ってもいませんでした(笑)

サニー部のみなさま。

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もう1台、HさんのB10もありましたが止めた場所が僕の横で撮るのをすっかり忘れていました…ごめんなさい。

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と、思ったらOさんが撮っておられたのでお借りしました…

いつもは110や210、サニトラの影に隠れているのですが今年はやや310率が高かったような気がします。

昨日は地元のIちゃんは勿論、大御所まつおかさんも居られまして楽しい時間を過ごす事が出来ました。

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そして帰りは環2家に寄って

久しぶりにサニーイベントとラーメンを満喫致しました(笑)

防水対策

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この度のサニーの補修でありますが、実はまだやり残している事があります。

そのうちのひとつがテールランプAssyの防水処理。
一旦動き出してしまうとなかなかやる気が起きませんが、いつまでも放っておく訳にはいかないので作業を再開致しました。

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テールの防水はご覧のように周りの黒いスポンジがボディパネルの内側に密着して水の浸入を防いでいるのですが、さすがに39年物では何の役にも立ちません。
特に今回はかろうじて残っていた粘着力(固着?)もボディ修復による取り外しで完全に無くなってしまいました。

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まずはレンズとユニットを分離してそれぞれ洗浄致します。
スポンジはレンズの淵に貼られていますが、これがかなり頑固でして一部は解けてレンズの表面を侵しておりました


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レンズは前期のクーペでも探せば新品がありますが、余裕はないので当然磨いて再利用です(笑)

防水のシール剤は様々な物が存在しますが…

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今回はスワンボンドのブチルテープを使ってみました。モノタロウで1,980円也。
特に理由はありませんが値段が手頃でレビューが多かったのでこれにしました。

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イラストの車両を見て、一瞬310前期セダンか
と、思いましたがよ見るとマフラー右・しかもデュアル
違いました…(笑)

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組み合わせたライトAssyにブチルテープをぐるりと巻いてあげます。

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そしてボディ内側に貼り付けて…

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ガーニッシュと共に締め込んで完成

始めてみれば大した事もない作業でありまして時間も僅か2時間弱、さっさとやっておけば良かったと思うのでありました…。

これで少しは錆の進行を遅らせる事が出来るかもしれません。

もっとも、リアラゲッジの穴を塞がないと全て無駄になりそうですが…(笑)
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