Quantcast
Channel: B310サニーのブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 284

FUJI WONDERLAND FES!その⑧

$
0
0
HERO of Fomula編

今回はフォーミュラー編になります。

僕が見ていたのは83年中盤~F3000までなのでそれ以外殆ど知りません(笑)

なのでコメントも殆ど書けませんがお許し下さい…。

実物を初めて見たのは86年RCC主催の夏のレースでした。

その時に走っていた車が…

イメージ 1
マーチ86J・ヤマハ(1986)当時好きだったドライバーが乗っていたマシンです。
懐かしいダンロップ・フォーミュラーのカラーでありますが、まだ現存していたことにびっくり でもサイドポンツーンのロゴはヤマハだったような…スピードボックスは確かこの車のチーム名だったような気がしますが、このタイプもあったかもしれない…流石に30年以上前なので覚えておりません

イメージ 2
当時のドライバーはエイエ・エルグ氏でありました。このドライバーさん、雑誌によってファーストネームがエジェもしくはエイエ、ラストネームがエルグまたはエリジュなど、非常にバラバラでありまして何と呼んで良いのか分かりません(笑)ダンロップがスウェーデンから呼んだ助っ人で長きに渡り活躍。Cカーではワコールカラーのトヨタ童夢、GCやGr,A等々…先のジェフ・リース氏と共に日本ではお馴染みのドライバーさんでした。

ちなみにどうでもいい話でありますが…85年か86年頃、ダイドーから300mlのビン入り炭酸飲料が発売されたのですが、それがスウェーデンの麦を使った(確かそう謳っていたはず…)やつでCMに同氏を起用しておりました。

商品名は忘れましたが、

「ヒーローはスウェーデンからやって来た…」

こんなナレーションだったと思います(笑)

当時、同氏のファンだった僕は早速買って飲んだのですが…

あまりの不味さにショックを受けました(笑)

こんなネタ絶対書く事無いと思っておりましたが、今回まさかの機会が訪れましたた…。

イメージ 3
当時、ダンロップのエース格は佐川急便SSRカラーでありましたがこの年はエルグ氏のマシンはダンロップカラーになりました。

いやぁ、本当にカッコいいカラーリングです…。この頃はスポンサーも多彩でしたしJTが初めてモータースポーツに参入したのもこの年でした。故・松本恵二氏のキャビンのCMを覚えている方も多いのではないでしょうか?あのカッコ良さからキャビンが凄く売れるようになったそうです。前年までは星野さんもラークでしたし国さんはJPSカラーとタバコロゴはサーキットにとても似合っていたと思います。

イメージ 4
マーチ842・BMW(1984)故・松本恵二氏がドライブしていたマシンですね。
シリーズはホンダ勢が優位で設計の古いBMWユーザーは苦戦していた記憶があります。当時ホンダはまだ一部のユーザーにしかエンジンを供給しておらず、日産系の星野さんや長谷見さんもBMWエンジンでした。しかしこの勢力図が翌年のヤマハ参入によって徐々に変わっていくのであります。

イメージ 5
懐かしの842が見れたのは勿論嬉しかったのですが、パンフレットには長谷見さんの佐川急便SSR号が載っていたのでてっきり会えると思っておりました、が、結局見れたのはこの車両のみでありました。古いマシンはメンテナンスに莫大な費用や時間が掛かるそうなのでもしかするとそういった理由で不参加だったのかもしれませんね。
またいつか元気に走っている姿を見たいです。

イメージ 6
ローラT90・DFV(1991)キャビンカラーがカッコいいこのマシンは片山右京氏がタイトルを撮った91年の車両であります。F2時代はマーチが主流でしたがF3000に切り替わるとローラにスイッチするチームが急増、マーチ87Bの評判があまり宜しくなかった為星野さんと関谷さんはたった1戦で見切りをつけ、ローラへとスイッチしました。チームは共にレイトンハウスでありまして既にこの時から物凄いお金が動いていたのであります…。

以後、ローラは徐々にシェアを拡大、89年にはレイナードが参入、マーチのユーザーはあっという間に少数になっていくのでありました…。

イメージ 8
今となっては懐かしいキャビンカラー、F1では知名度からマイルドセブンに変えたと何かの記事で読んだ事がありますが、これはこれでカッコいいですよね…。
この他、後にF1へ行くレイトンハウスやフットワーク、F1ドライバーとなるジョニー・ハーバート氏やエディ・アーバイン氏等、物凄く盛況したシリーズでありました。

イメージ 7
ラルトR35・無限。(1991)こちらはF3マシン。金石勝智氏がドライブした車両であります。F3000同様に必勝体制で挑んだシリーズでしたが、トヨタもホンダも有望な外国人ドライバーを起用し始めるようになり、以後数年間は全て外国人ドライバーがタイトルをさらっていくのでありました。しかし、その当時の面子はどれも今ではビッグネーム。何らかのカテゴリーでタイトルを獲得しているドライバーばかり…各メーカーやチーム関係者さんの見る目は凄かったんだなぁと思います…。

イメージ 9
F3000との比較…何だか親子のような感じに見えます(笑)

イメージ 10
ローラ T97・無限(1997)後にマクラーレンF1をドライブする事になるペドロ・デ・ラ・ロサ氏がタイトルを獲得したマシンでありますが、もうこの頃は殆どレースは見ておりません…リザルトやレース展開はオートスポーツとレーシングオン(当時この2冊は欠かさず購入)で見る程度でありました。

既に興味が海外の箱レースへ変わっていた事もありますが、決定打?はフジテレビが放送するようになったフォーミュラニッポン初年度でした。それまでの通好みの内容から一転、おチャラけたイメージが強く徐々に見なくなりました。幅広い層を取り込もうとしたのは理解できますが実況が酷過ぎました…。まだ土屋圭一氏と熊倉重春氏が言い争った前年F1中継の方が良かったぐらい…(笑)

イメージ 11
マシンもカッコ良かったですしドライバーのレベルも凄かっただけに残念であります…。

イメージ 12
ノバ532P・BMW(1978)星野一義氏がタイトルを取ったマシンであります。この頃はまだ小学生でしたのでマシンの色形以外は殆ど知りません 強いて言えば親父がたまに買ってくれたオートスポーツでPENTAX=星野一義=日本一速い男という事実を知ったくらいでしょうか…。とはいえ、最近ではこの辺りのミニカーもリリースされているようなのでいつかは飾ってみたいですね。

イメージ 13
この頃のフォーミュラーもカッコいいですね。男臭いというか、夢の多かった時代(勿論今もありますが…)というか…凄い人たちがまだ若手だった頃のレース、今思えば見てみたかったです。

イメージ 14
マーチ742・BMW(1974)当時まだ4歳(笑) 
カッコいいマシンですが、さすがにもうコメント出来ません

イメージ 15
F2000時代のマシンのようですが素晴らしいコンディションでありました

イメージ 16
リアセクションのメカニカルな感じがたまらないですね

イメージ 17
ブラバム BT30・フォード(1970)

当時0歳…もはやカテゴリーすら分かりません

イメージ 18
時代で言うと葉巻型のフォーミュラーから進化し始めた頃でしょうか…。
タミヤのプラモデルでこういう形のF1があったような。
いずれにせよカッコいいという印象は変わりませんが(笑)

以上、後半はほぼ感想しかありませんがCカーに劣らない感動を得られてとても幸せでした

次回は日本グランプリ&GCデモラン…といきたいところでありますが、残念ながら到着ぎりぎりで写真はございません ツーリングカーデモランも写真はございません。

F1編、展示車編でこのシリーズを締めたいと思いますのでもう暫くお付き合い下さいませ

Viewing all articles
Browse latest Browse all 284

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>